最後のサヨナラ
サヨうであるナラば
いざゆかん
その8
伊藤さんは
無口だ
1年近く一緒に働いたが
会話らしい会話を交わした憶えがほとんどない
当時
俺は編集部に関わる一切の雑務をこなしていた
雑誌が入荷されると
倉庫に降りてい
伊藤さんの運び込みを手伝
それが終わると
とタバコをご馳走にな
伊藤さんは
大のタバコ好きだ
倉庫は火気厳禁だ
たが
始終
隠れてタバコを吸
ていた
ずいぶん昔に奥さんにも先立たれ
た一人の息子は海外勤務で
もう十何年も音信不通だという話だ
聞いた限りでは
友人もいなければ
趣味もこれとい
てなか
仕事が好き
ていうか
仕事をするぐらいしかやることがなか
のだろう
あの倉庫には
出版社がこれまで発刊した
何千冊という雑誌が
うず高く積み上げられていた
どこに何が
どれくらいあるかを
正確に知
ているのは
伊藤さんだけだ
腰はそろそろ曲がり始め
雑誌をかつぐのも辛そうで
もういい
加減引退しろよ
と陰口を叩く者もいたが
伊藤さんは働き続けた
もしかしたら
そういうことを誇りみたいに感じていたのかもしれ
ない
誰が政治家にな
て同じことなのよ
社会なんて
変わらな
いわ
女は政治も教育も宗教も
何も信じない
と言
そして
誰にも期待しない
とも言
だから
選挙にもいかないし
いざと言う時も
誰にも頼らないのだと言
つつつつ
手首をつたう血が
湯に溶けていく
顔が
少しずつ色を失い
鉛色に近くな
てい
抜け落ちた血の分だけ
体から熱も奪われてしまうのだろう
女は
ガチガチと歯をかみ鳴らしながらも
喋り続けた
心臓がドクンドクんい
てるよ
普段はぜんぜん聞こえないのに
こういう時
すごい聞こえてくるんだよね
悲鳴をあげている
んだ
このままじ
死んじ
うよ
ふふ
この写真さ
あんたの作品集に入れてよ
私の名前とかガンガン入れち
ていいから
著作権とか
肖像権とか
放棄するから
ろくな人生
なか
たけどさ
それで
あんたが有名にな
てくれたら嬉し
いなあ
うわ
なんか
視界がグルグル回
てきた
ここまではよ
くいくんだけど
この先はどうな
てるのかなあ
ねえ
私の分ま
で生きてよね
伊藤さんの死因は
心臓発作による突然死だ
部屋の戸棚の中に
常備薬が置かれていたらしい
誰にも明かしていなか
たが
持病があ
たのだ
いつから
自分の死を予期していたのだろう
地震があ
たら
間違いなく潰れて死ぬだろうな
それが
伊藤さんのかねてからの口癖だ
天井近くまで積み上げられた雑誌を見上げ
含み笑いをしながら
タバコを吹かした
あれは
逆説的にいうなれば
そうや
て死にたいという
伊藤さんなりの願望だ
たのだろう
願いは適わなか
伊藤さんの葬儀は
誰に知らせることなく
そりと執り行われ
その遺体は
速やかに焼却された
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